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『黄金町レクイエム』 [レヴュー/ギャラリー]

数年前から「赤線」と呼ばれるかつての売春地帯を
ふと思い立って歩くことがある。
「売春は最古の職業だ」などといわれるけれど
東京中の赤線や(すべて制覇していませんが)地元大阪の
売春地帯をあるくと、
売春婦たちの魂がいまだに彷徨っている気がしてならない。
そしてその行き場のない魂がどす黒く渦を巻いて人の肉体に宿って
今でも人間を操っているような、そんな気持ちになる時がある。

江戸時代に開港した横浜にも少なからずそのようなエリアがある。
というか、「ものすごく巨大なエリア」がある。

黄金町もそのひとつ。
ここには2005年1月6日、一斉摘発があり
この街の灯りも消えた。
戦後は赤線として栄えたこの街には
当時、南米やアジアの女たちがいた。
たくさん、いた。
そして多くの売春婦や労働者と同様に
彼女らに顔はなく、
あるものは遠く離れた家族のために
あるものは夫を失い、
あるものは悪徳ブローカーにだまされ、といった
様々な理由でこの街に流れ着いた。
それはちょうど、かつての赤線の日本人娼婦たちが
体を売っていたのと同じ境遇だ。

そんな彼女らに顔を与えた一人の写真家による作品展があった。
中国やタイ、コロンビアなどから出稼ぎにきた娼婦たちのポートレイトと
この黄金町に警察のテコ入れがあった、その後の
真っ暗なこの街の横顔。
どんな仕事をしてでも家族を養う女の強さが
とても美しかった。
言葉で言うことはいとも容易く
実際にはエイズや警察の摘発、そして貧困と
彼女らが抱えているものが大きく
私は傍観者でしかない。
全地球から貧困をなくすことは不可能だろうし
売春という仕事はこれからも続くのだろうし
私はただ手をこまねいているだけだ。
それでも彼女たちに光がさせばいいと思う。
ほんのひと時でも、楽しくて穏やかなひとときが訪れて欲しいと思う。
それは、生まれたての赤ちゃんに沢山の幸せを願うのと同じで
みんなが少しずつ幸せに向かっていければいいと思う。
そんな感想、偽善者でしかないのだけれど。

とても良い写真展だった。
街と人が彼女たちの記憶をなくさないよう、祈る。

今回展示されていた写真が収められた本
→「黄金町マリア」
横浜黄金町路上の娼婦たち
八木澤高明/ミリオン出版

写真展:『黄金町レクイエム』
開催期間 5/5(土) - 5/19(金)
開催時間 10:30〜21:00
入場料金 入場無料


Cheese Monger [レヴュー/ギャラリー]

イラストレーター奥原しんこさんとスタイリストとして
雑誌などで大活躍の飯島久美子さんによるユニット「チーズモンガー」。
本日、ラフォーレ原宿にあるkirakiraHAPANで
二人によるライブペインティングが行われた。
カラフルなサインペンで、すーっと腺を生み出して行く
しんこさんの、その手つきが美しくて
本当に描くことが大好きなのだな、と思った。
そしてそのペインティングにリボンや布、
どこで見つけたの?とつっこみたくなるような
キュートな小さいパンダなんかをコラージュする飯島さんの
センスが抜群で、ピンク色の夢の中に誘われたひとときだった。
実は、kirakiraHAPANのコンセプトとは
「太陽のようにキラキラ輝く新しい日本を
コドナ(子供>大人)クリエーターの創造物により世界に発信する
プロジェクト」なのだ。
うーん、納得!そのメッセージはびしびし伝わったわ。

チーズモンガーのグッズはここ以外にも
NADiffやgrafでも手に入ります。

コドナがジャックする原宿。
いくつになってもわくわくする。
チョコレートパフェみたいな街。


マジカル・アート・ライフ展 [レヴュー/ギャラリー]

トーキョーワンダーサイト渋谷では現在
精神家医であり美術コレクターでもあり、
更にはアートセファル代表も勤める岡田聡氏の
コレクション展が開催されている。
現代美術家として一線で活躍する大御所から
若手作家まで数十人の作家がコレクションされ、
それぞれの作品が処狭しとぎっしり展示されている。
その展示方法は「あれ?この作家の作品、あそこでも見た!」
といったトランプの神経衰弱を連想させるもの。
ひとたび作家の手を離れ、買い取られた作品たちが
コレクターの意の下に解体され、思い思いに展示されることによって
再構築されているのだ。
広い展示スペースに、ぎゅっと濃縮された作品に囲まれると
どこか不安な気持ちになる。濃密な空気が漂う展示は
10月1日まで。(無料です!)
※トーキョワンダーサイト渋谷にて


取手アートプロジェクト-牡丹靖佳/森政俊- [レヴュー/ギャラリー]

取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)とは、
取手市とそこにキャンパスを置く東京芸術大学が一体となり
発表と創作活動の場を若手アーティストたちに
提供するという試みで、その歴史は1999年に遡る。
公募展をベースに参加アーティストを集い、進行するこのプロジェクトは
これまでリサイクルをテーマにした
「取手リ・サイクリング アートプロジェクト」(1999年)
や「家と郊外をめぐる再発見」(2000年)といった
地方都市が抱える問題点を主題にし、芸術との接触によって、
アーティストと市民の双方の発展を図るものでもある。

このプロジェクトの活動拠点はJR取手駅を出てすぐにあるショッピングビルの最上階。
広々とした空間の一部は白いパーテーションで仕切られた展示スペースとなっている。
そこでは牡丹靖佳/森政俊-展が(2006年7月14日ー8月6日)開催されていた。

「むこう側への話」と題した牡丹靖佳の展示では
ギザギザと打ち破られた格好に切り取られたグレーの扉をくぐると
一面の白い世界に包まれることになる。
頭上には雲がもくもくと湧き、振り返った入り口周辺には
アール・ヌーヴォー調のゴールドのテキスタイルと山、そして滝が連なり
壁紙のように張り巡らされている。
そして、入り口をくぐって突然眼前に壁から
突出した白い立方体が行く手を遮る。
よけながら進むとその先にはしつらえた小さな階段があり、
そこを上ると木に施されたペインティング「モンプチ」が。
そこから振り返って全体を俯瞰すると展示スペース中心で、
ぶら下がった数枚の白い布。そしてその下ではいくつかの木々が線で連なる。
スペース内にいくつも仕掛けられた小さなトラップを謎解きながら
ひとつひとつの作品に「?」としばし頭をひねる。

実はこの空間を謎解く鍵は、会場内に展示された一連の画にあるような・・・。
その画では、滝の如く流れ出る水流、それに連なる山、
人間の棲家である住居、そして犬や家畜がいて
それぞれがそれぞれの生を営むこの世界がポップに描かれており、
この空間はそこで描かれた世界の再現になっているのだった。
一つの連なりが次第に形を変容させ、想像もつかないほどの
別の「もの」へと自然に連なりいく様は
「もの」と「物」との関係性を再考するきっかけを与えてくれるかのようであった。

隣のブースで展示されている一方の森政俊展は
白い空間に9枚の航空写真が連なり空間全体を取り囲む「sphere#009」。
飛行機が高度を上げ、雲海を遥か見下ろす頃
地上からは雲が邪魔をして隠れていた快晴のコバルトブルーが冴え渡る。
写真は丁度そんな角度で白とブルーの境界線を中心に据える。
太古、空とは人々が天上に希と想いを馳せ
神がいると信じていた神性な場。

その写真はじつは東京から福岡の国内線空の旅の行程でとられたものだとか。
展示空間の中心にたち、見渡すと、右も左も
そこが「どこ」ということなく、名をもたない宇宙にちかい場であるのに
実は数時間で超え得る「東京-福岡」という距離になってしまった。

余談だが、60年頃までは代海外旅行の選択肢として
「船」はまだまだ健在だったようだ。
横浜、香港、サイゴン、シンガポール、コロンボ、ボンベイ、紅海、マルセイユ。
これが当時の東京-フランス間の行程一例。
聞くところによると
インド洋の真上では、毎日真夜中に時計の針を30分ずつすすめて
地球というものについての不思議の体験をすることができたそうな。
当時の人は飛行機は速いが高い、
けれど船は安くて長く乗っていられるといって笑っていたそう。

海外旅行の飛行機で、距離と時間のせめぎあいについていけなくて、
心がふわふわ海の上を漂っている感覚はないですか?
人間の叡智を尽くして、神の住処を奪ったことと同時に
なにか、「悠久」の感すら失ってしまったことが
恐ろしくもあるように思える、そんなことを感じた展示でした。

※2006年7月14日ー8月6日 取手アートプロジェクト-森政俊/牡丹靖佳-


若冲からジャナイナ・チェッペそしてミヅマアートギャラリーへ [レヴュー/ギャラリー]

7月末のTrikoブログで御紹介した伊藤若冲の裏番組?
現在宮内庁三の丸尚蔵館にてその代表作である
「動植綵絵」全30幅が5期に渡って公開されている。
動植綵絵は若冲が42歳(1757年)からおよそ十年を費やして描かれた作品。
釈迦の説法に集う生き物たちを描いており、
京都・相国寺に伝わる「釈迦三尊像」と共に
若冲が帰依した寺に寄進された作品である。
平成11年から6年かけて修復が施され、新たに判明したのは
絵の裏側にも彩色を施すという、平安時代の仏画に見られる
「裏彩色」という技法を使っていたということ、だそうな。

それにしても、まったく、絶妙な引き算・・・!!
画面いっぱいに、漲るようにモチーフが踊っているのに
ぎりぎりの線がどこかにあって、画面に緊張を与えている。
モチーフの鶏の羽にしても、種々の模様が徹底的な写実で
描かれているのに、全体としてはどこか、すっきりして・・・。
尚蔵館を出て皇居内を散策していると、林の中で
先ほどの「池辺群虫図」で目にしたような光景にでくわす。
それは蟻が懸命にみみずを巣穴まで引張っていく姿・・・。
この「池辺群虫図」は画面全体に
円循環を描くようにからめられたひょうたんの
合間から蛙、蛇、昆虫が集う様を描いている。
それぞれの虫たちは、小さな体だけになお一層賢明に己の生を
真摯に生きている様からは、
若冲の対象にせまらんとする息使いが聞こえるような。

※宮内庁三の丸尚蔵館にて 第4期:2006年7月8日ー8月6日
 続く5期は8月12日〜9月10日では
 丸山応挙や呉春など、若冲以外にも見所は目白押しみたいですよ。

-ジャナイナ・チェッペ展-
ジャナイナ・チェッペは1973年ドイツ生まれの女性アーティスト。
全身に風船(実はコンドーム?)を
纏いながら海にたゆたうパフォーマンス映像や
写真、ドローイングなどを展示。
胎内細胞のような、子宮や性器、へその緒を連想させるような
ゆるい映像を見ていると、水の音に誘われて
胎内回帰の記憶を辿るよう。
ムショウに海に行きたくなりました。
※トーキョーワンダーサイト渋谷にて 2006年7月20日−8月27日

ー近藤聡乃展「てんとう虫のおとむらい」ー
てんとう虫にみたてたボタンをスカートの内側に
びっしり縫い付けたり、
おかっぱ頭に裸の少女が踊るようにくるくる回り
てんとう虫に進化していく様は
「おとむらい」の儀式、つまり死から
生への昇華みたいなイメージを喚起する。
そんな独特の世界観と丁寧なアニメーションを
若干26歳の女性アーティストが作ったとは!
※ミヅマアートギャラリーにて2006年 7月 5日 (水) 〜 8月 5日 (土)

山本竜基展 「千の自画像」 (同ギャラリー5Fにて)
↑と驚いていると、こちらでもド肝を抜かれかねません。
どこをむいても作家の自画像、自画像・・・。
棒を手に殴ったり、追いかけたり、と
ものものしい人影がざわめく混沌とした画面は、
作者自身が互いにいじめ、いじめられ、
輪になって闘争する姿なのだ。
そしてその一人ひとりが「上手い!」。
画面のインパクトは手仕事の力によって
しっかり裏打ちされているようでした。
※ミヅマアートギャラリーにて 2006年 7月 26日 (水) 〜 8月 26日 (土)


京の美意識 -甲斐庄楠音からニュートロンへ- [レヴュー/ギャラリー]

上京の目的はNHK日曜美術館でみた甲斐庄楠音(かいのしょうただおと) の画をひと目見たいという一途な乙女の如き熱情からでした。
退廃的な美人画を描いた大正の画家甲斐庄楠音は
楠正成の後裔と伝えられる甲斐庄家の三男として
1894年京都市上京区に生まれた。
青少年期からダヴィンチやミケランジェロに魅せられたらしく、
作風は日本画には珍しく
グロテスクなまでに写実的であったりする。
それ故に当時の画壇からは周辺においやられ
土田麦僊からは「汚い画」とまで酷評された。
そんな甲斐庄が画家として生きた生命は短い。
1940年溝口健二との出会いを機に
映画関係の仕事に転じ、美術公証などに携わった後
1978年、83才でその生涯を終えた。

そのような事情で、現在でも一般的には高く評価されておらず、
美術館でもなかなかお目にかかることができない。
そこで、京は岡崎にある星野画廊へと馳せ参じました。

こちらの画廊は甲斐庄楠音のように未だ評価が定まっておらず
歴史の闇に埋もれている画家を発掘しては、展示するという
コアなプライドを貫いていらっしゃる。
決して商業化の波に屈しないところに、京の美意識を感じました。

果たしてお目当ての甲斐庄楠音も、そう広くはない画廊内の、
所狭しとならんだ企画展の合間で、ひっそりと異様な気を放っていた。
氷のような美。それでいて漂うどろどろした女の部分。
こんな画を間近で見られるなんて、本当に太っ腹な画廊だ!!
でも、2点のみの展示だったので、もっとたくさん見たいと
よけいに、欲が出てしまいましたが。

さて、お次は友人からのお勧めスポット、烏丸御池にある文椿ビル
天井の高い瀟洒な趣は大正時代の建築。きもの屋からヘアサロン、エステ、
レストランを兼ねたショッピングビルとしてリノベーションされたこのビルの2階では
宇宙を植える<焼き物を植える>と題した谷口晋也展が開催されていた。
「木を植えるような感覚で焼き物を作りたい」というこの若手作家は
賑わうカフェに併設されたギャラリースペース、ニュートロンで、
白く神聖な陶器の木々をギャラリ内の三ヶ所に配し、
ひときわ宇宙的で静謐な空間を作っていた。
それは、天使の輪の形をした、いくつかの白い陶器を
組み合わせたような格好で、
ねじれながら昇天するようなイメージを抱かせる。
陶器は道具としての用途が運命的に決まっているし、
創り手もそれを心得ているのであろうが、
従来の概念に留まらず、陶器でこんなにスペイシーな
オブジェを創るという自由な発想が斬新だった。

そんなモダンと古典がリミックスされるのはここいらの土地柄なのだろうか。
この辺りでは他にも、元丸紅ビルを建築家隈研吾が再生したCOCON KARASUMAや大正15年築の新風館など古い建築のリノベーションで伝統に、きちんと現代の息吹が感じられる。
温故知新のエスプリが、パリっ子たちのそれと相似を描いているかのようです。

祇園花見小路にて 先斗町どすえ 文椿ビル入り口
敷かれたタイルが鬼可愛い
平安殿のお菓子
涼やかなる包みの美学
美味しい和菓子には「抵抗」
といふものがないそうな

澤田知子展 MASQUERADE [レヴュー/ギャラリー]

履歴書を書いていて、己が激しく自己分裂していることに気づく。
自分は何者にもなれそうだし、また何者でもない。
どこにでも行けそうなのに、ココにいる。
そんな矛盾感じたことないですか?

スピード写真で撮影された幾多の人々ID400シリーズや
数々のお見合い写真シリーズOMIAIなどで一躍時の人となった
写真家、澤田知子。
外見と内面のギャップをテーマに作品を発表し続けた、
ここ10年間の軌跡を辿る個展がキリンプラザ大阪で開催されている。
会場にずらりと並んだホステスの紹介写真も、
プリクラみたいにはしゃぐコギャルも
就職活動の証明写真も、すべてすべて、作家自身をモデルにした
セルフポートレート。
何十、何百というパターンのコスプレを見ていると
作家の人格は破綻しないか、とこちらが危惧してしまう。
なぜなら、ポーズや衣装、カツラだけでなく
被写体1人ずつのキャラが練られ、かなりの完成度。
写真に写るのは、誰かであるのに、それは誰でもない。
作家はいつも他者の仮面を被り、剥いでは
新たな仮面を被り続けながら、写真の可能性を探っているようだ。

澤田知子展 MASQUERADE KPOキリンプラザ大阪にて 2006年7月15日-9月2日
MEM galleryでは澤田知子展Early Daysが同時開催中 2006年7月14日-9月2日
こちらではセルフポートレート作品の原点である初期白黒写真が展示されているそうです。


神谷徹 展 [レヴュー/ギャラリー]

光の戯れを留めようとして、瞼の裡に残る影と、
その留めたはずの残像が流れ出したような。
雨のフロントガラスに映るネオンの、にじんだ粒みたいな。
夏のアスファルトに揺らめくかげろうみたいな。
静けさと流動性を感じさせる、神谷徹展が
スカイ・ザ・バスハウス で開催中。

アクリルと油絵という二つの異なる手法で紡ぎ出される色彩の世界は、
物事のネガとポジ、あるいは線と面という
両側からのアプローチによって成立しているみたい。
そこでは道路や車、緑の中の少女といった、
日常のパースペクティブが、降り注ぐ光に満たされて、
世界が祝福されているみたいな気持ちになる。
うだるような暑い一日に、うってつけの展示。

神谷徹 展
会場: スカイ・ザ・バスハウス
スケジュール: 2006年06月30日 - 2006年07月29日
住所: 〒110-0001 東京都台東区谷中 6-1-23 柏湯跡
電話: 03-3821-1144 ファックス: 03-3821-3553


松本 力「宇宙登山」Climbing Universe [レヴュー/ギャラリー]

誰もいない放課後の、ひっそりと廊下にひびく
校庭の叫び声とか、
あるいはちょっと遅くまで居残りした
夕闇が迫ってきて、いつもと違う顔した学校を、
記憶していませんか?

昨年秋に開校した 世田谷ものづくり学校
IKEJIRI INSTITUTE OF DESIGN IDD GALLERY

廃校になった世田谷区の池尻中学校をリノベーションし、
ワークショップや美術家の展示スペースとして
またあるいは映像を上映するといった活動を通して、
私達の日常を取り巻くデザインと建築
ひいては「ものを作る」ことの根源を
商業的立場から距離をとりながら問いなおすこころみをしている。

7月7日-8月6日まで、その一室ではアニメーション作家 松本 力さんの
「宇宙登山」Climbing Universeと題した展示が行われている。
今宵、夕暮れが近づいた廃校の一室では、
エレクトロニカバンド オルガノラウンジと
松本さんによる展示レセプションをかねた
ライブパフォーマンスが行われた。

エンピツやクレヨン、ポスターカラーなど、
誰もが手にする画材で描かれた、何千コマにも及ぶという
手書きの原画をもとにした松本さんのアニメーションは
オルガノラウンジのエレクトロニカルでいて、
オルゴールの旋律のようなアナログさを併せ持った懐かしい響きと
繊細で透明なボーカルとが相俟って、
ある種、スイッチをひねるように空間を織り成していく。
そこでは、映像と音の霧雨みたいなシャワーが降り注ぐ。

眠れない夜、放送終了後のテレビをつけたことはないだろうか?
砂嵐を耳にしながら、胎内の記憶に近づこうとして
辿りつけなかった経験はないだろうか?

暗闇から浮かび上がるスクリーンいっぱいにプロジェクトされた
アニメーションを見ているといつもあの砂嵐を思い出す。
儚く、移り気で、眠りに「すとん」と落ちてしまうほんの一刹那手前で見る、
夢の入り口に立ったような
妙に哀しく、記憶の根源を辿る旅に誘われる。
何故だろう、自分の最期に見るものは
きっとこんな景色かもしれないと私はつい思ってしまう。

最初に松本さんの映像と出会ったのは、もう3年近くも前だけれど
その「郷愁」みたいな、底辺をつたう水脈は変わらない。
また、数々の海外公演を経て着実に存在感を益し、
今春アニエス・bのパリコレにてライブで音源を提供した
という稀有な経歴を持つオルガノラウンジと、
両者は互いに生かしあいながら、
映像と音楽というふたつの世界を深め合い、
共に進化しつづけている。

 
「宇宙登山 」DMより
(C) Chikara Matsumoto

 
※「宇宙登山」Climbing Universe 2006年7月7日ー8月6日
   世田谷ものづくり学校 IKEJIRI INSTITUTE OF DESIGN IDD GALLERYにて
※今回の展示では松本さんのアニメーション装置
 絵巻物マシーンの全貌がつまびらかに!?
 週末を中心に、展示と同時進行で
 新たな絵巻物マシーンを製作されるそうです。
※校内にはカフェGO SLOWもあり、レセプションでいただいたご飯も絶品でした!!


町田久美 [レヴュー/ギャラリー]

「絵描き」でありながら、その行為と、そらさずに対峙する「絵描き」は
芸術の定義さえもがゆらぐ社会で、どれ程存在しているのだろう。
’05年VOCA展に出展後、東京都現代美術館でのMOTアニュアル2006NOBORDER—
「日本画」から/「日本画」へ(2006年1月21日-3月26日)
にも出展するという新進気鋭の日本画家町田久美の個展が
日本橋の西村画廊で開催されている。

一本の線をひくのにも何時間もかけて、歯を食いしばり、
指が折れそうになるくらい力を入れすぎて描く、という彼女の作品は
秘められた静なる力で会場全体を圧倒している。
その背後にあるこれらの物語は、こちらも息を殺して向かわなければ
雪肌麻紙のきらきらした表面からは見えてこない程、一本の線自体が洗練されている。
子どもでも大人でもなく、女性のようであり
僧のような、こけしのような、不完全な存在たち。
それら一切の名状を拒んだモチーフは、緩やかでいて尚且つ力強い線によって
画面に定着しながら放たれて、モノクロームの世界に佇んでいた。

※町田久美展 西村画廊にて 2006年6月6日ー2006年7月1日


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